国立能楽堂 開場 35周年 記念公演 「狂言の会」に行って参りました!
国立能楽堂 開場 35周年
→https://www.ntj.jac.go.jp/nou/35th.html
「能楽」(能と狂言)は、日本最古の芸能といわれ、ユネスコ無形文化財にも登録されていますが、「舞台でみる機会が中々ない。」という方も多いのでは?ちなみに、私もその1人。これまで「観たいなあ」と思いながらも、足を運んできませんでした。
ところが。
月1で参加してる「庭めぐりの会」主宰の研究者・原 瑠璃彦くんが、能と庭が専門ということで、ついに「どんな能がいいの?」と具体的かつ信頼おける情報をきける方ができて、はじめて足を運んだのが8月。
ちなみに。「庭めぐりの会」でめぐった庭についての記事。
→国家外交の最前線では、どのように賓客を「もてなす」設計をしているのか? – 迎賓館 和風別館 –
以来、狂ったように能管(横笛です)のYouTubeを聴き続ける日々が続き、すっかりハマってしまった次第です。「能楽」観に行こうかな?となったときに、すぐ出てくるのが「でも、眠くなるのでは」「難しいのでは」というストッパー。
なのですが、ど初心者である私が、ちょっとだけ観て思うなりに、これは案ずるより産むが易しです。
能・狂言のストーリーはシンプルで普遍的なので、歴史や古文の素養などなくても、けっこうわかります。そして狂言の場合、ふつーに面白くて笑いが出てくるので、そういった懸念は無用だと思いました。
能の場合は、眠くなってシータ波になることで、頭脳をやすめて、夢うつつの世界に接触するのが狙いなので、それでよしなのだと思います。
(そして、それでもハマらない場合は、相性の問題なので、もう無理せずに観なくてよいのでは)
で、話が最初に戻る。今回は「狂言」づくしの会を観に行きました!


国立能楽堂は、現在オリンピック競技場をつくっている東京・千駄ヶ谷駅近くにあります。あの辺って、都会都心部なのにも関わらず、江戸時代ですか?っていうくらい、夜のとばりが落ちたら、もう暗闇です。
後ろからとんとん。。。なんて、肩をたたかれて、フッ!と後ろを振り向いたら、誰もいなかったとか。そんな雰囲気。能楽は超自然的な存在が主役ですから、ぴったりのエリアですね。
わたしは一人で行きましたが、わりとそのような方が多いのも能・狂言の公演の特徴だと感じます。あちらの世界に飛んで返ってくる装置なので、人との社交や交流を必要としないのかなー、とか。

さて。今回、非常に驚いたことが、私の身におきました。
大蔵流の『射狸』という演目でのことです。ストーリーの中で、狸を射る漁師に紛争を見破られた後に狸「腹鼓(はらづつみ)」を打つのですが。。。。。!!!!
なんとも、くすぐったい奇妙な間と音で、これまで体験したことない、へんな笑いが出ました。
こういう笑いは、テレビやYouTubeのお笑い見てもないし、日常でもない。
とても自然なリアクションだけど、習慣に埋没した反応でない新しいレスポンス!
知ってる「笑い」の概念と違う。
日常レベルでは感じたことのない感情・思考がほとばしるのです。
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私が思うに、これが、芸術(「日常での有用」や「自然」とは異なる「用」が体験できるコンテンツ)にしかない特有のレスポンスです。できる限り、そういう体験が起こる芸術コンテンツを選んで鑑賞したいし、そういうコンテンツを体験できる機会を今後提供していきたいと思ってます。
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当日、野村萬斎さんがシテで出演された和泉流『木実争』は、花と果物の精が大勢出てきて戦いを繰り広げる華やかな舞台で、衣装や演出も大変、愉しみました。
脇から見たので、演者の意識と体のバランスのとりかた(所作)も、大変興味深かったです。とにかく、意識が大きく、クリアで、雑味がなく、しゃん!としてる。「頭の先から足の先まで」と言いますが、前後左右2メートルくらい卵みたいに大きくふくらんでる感じでしたよ。
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狂言ばかり3コンテンツ観て思いましたが、やはり能と狂言ワンセットで観るのがよろしいですね。物事の表裏、裏表、どちら側からも観ると陰陽が閉じるものだと感じます。