母の疎開の記憶を聞きながらヘナをした終戦の日。

75年前の8月15日。 母は疎開先の群馬 梅田村(現・桐生市梅田町)の村長さんの家に集まった。

母は、当時10歳。 ラジオで終戦の詔勅放送を聞くために。ざざざーっ… ざざざざーっ… 山中だったからか、何を言ってるか分からなかったと言う。大人や先生たちが「戦争に負けた」と泣いてるのをみて、やっと認識したらしい。



東京の家に戻るには、さらに2か月待って、10月。父(わたしの祖父)が帰ってきた晩に食べた白いご飯とかぼちゃのスープ、地下に入れておいた西瓜。母は、カラダの具合が悪くなると、いまでも白米のおかゆが食べたがる。

人によって疎開は楽しかったこどももいるらしいが、うちの父母の場合はふたりとも大変だったという。疎開をしたのは、当時、小学校3年から5年の限られた世代だけなので、貴重な記憶だと思う。

戦後の方が食糧難は大変だったが、疎開がインパクトあり過ぎてあまり覚えてないらしい。

「その時、苦労したのは母(私の祖母)よねー。でも、母(私の祖母)も私(母)も、若い頃は大変でも、今は幸せだから、有難いことだわ」

そんな話を聞きながら、坂口 火菜子ちゃんのところで購入したセルフヘナのハーブを使って、初めて母にヘナをしました。新しいたたみ、抹茶のような懐かしい植物の香りは、手に触れてトリートメントするのも楽しく。

母の上に寝るアンク🐶もウトウト😪 神聖な頭、というけど、触ると本当にわかる。

戦争、病、飢、自然破壊。
それよりも太く長く、自分を生きる命をついだとき、私たちは自然に戻れるのだろう。

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